中古屋のジャンク箱に詰まっているのはたんなるガラクタだが、物好きの眼を通せば、ラックの列は産業考古学の資料庫に変わる。 大都会の店舗では、天井まであふれんばかりのジャンク品が、今にも崩れそうな臨界状態を保っている。 箱には10年遅れの技術が捨て値で投げ込まれ、積み重なって地層を成している。地震が起きたら居合わせたくない場所だ。 ゴミと見分けがつかない状態でも、実際に壊れている機器は少ない。拡張カード、ネットワーク機器、iPodに息の根を止められたMD、アナログ携帯テレビ。 規格が終わるとき、機器の命は尽きる。 PSP/DS以前の携帯ゲーム機とROMカセットの山、スマートフォンに負けたデジタルカメラ、アンティークになれなかったフィルム式カメラ群。 かつては広く普及し時代を象徴したガジェットが 織りなす、作者不在の コーネルの箱 が、所狭しと並ぶ。 ここに実用性を求めるなら、製品本体よりも、周辺機器や電源ケーブル等を探すと良い。 しかし物好きは過去の製品を所有したい欲から逃れられず、齧歯類のごとく自分の部屋の片隅によりすぐりのジャンクの山を築いていく。 そのうち物欲の原始的衝動をうまく飼い慣らせるようになり、最低限の修理技術と、故障ではなく時流に置き去りにされただけの完動品を見分ける勘、製品史を頭に納めて、月に1度は狩りに出かける。 故郷にはネット以外にこれといって最新なものが無かった。 ヘッドの壊れたβデッキはすべてDIP部品で、はんだこてを覚えたころはそこから部品を集めるのが任務だった。作業に飽きて、ゲルマラジオのコイルを巻いては秋月の通販が届くタイムラグが待ちきれなかったあのころ。 最初は通販で部品を入手するほどの知識も教育も無かったこともあって、分解して回路に手で触れ、ショートさせて、壊してその限界を知るというプロセスを通すしか経験を積む手段が無かった。 家のガジェットやPCを分解して親を怒らせたり、単なる動作不良や紛失にまであらぬ嫌疑をかけられるよりも、中古屋のジャンク品コーナーの100円程度の製品を漁るほうが害が少ないと気づいてからは、goodのハンダごて片手にいろいろな製品のネジと中身を机に並べ、手触りや見た目、配線の巧妙さに感心して部品箱をいっぱいにしていた。 たまにマイコン工作で見かける石...
kent`s prototyping memorandum