2016/11/28

軌道上に狙いを定めて

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人工衛星の軌道高度が落ち、大気圏に落下するまでに残された期間を軌道寿命と呼ぶ。

 高度400kmに投入された人工衛星が、人工衛星である期間はとても短い。 わずかに存在する希薄な大気が抵抗となり、ロケットが稼いだ運動エネルギーを少しずつ奪っていくのだ。 低軌道に放たれた瞬間から、地球に向かって緻密な螺旋降下が始まっている。

 低高度観測を目的とする観測衛星や国際宇宙ステーションは推進部を備え、定期的な軌道修正を行うことで動的に軌道寿命を延長している。 

2014年の夏も終わる頃、ひと粒の人工衛星の軌道寿命が尽きようとしていた。 
 軌道投入から半年が経過し、高度は200kmまで落ちてきた。 落下予測情報からも、数日以内に大気圏に突入することは間違いなかった。 

 大気圏再突入が迫ったとある夕暮れ、久しぶりに自宅で衛星追尾をすることにした。がらくた箱から手づくりの八木アンテナを掘り返す。  バルサ材を軸として、ホームセンターで買ったアルミと真鍮の棒をエレメントとして並べた代物だ。何度か自作した結果、一番コストパフォーマンスが高く、作りやすい素材を組み合わせている。 
 保管していた間に曲がったエレメントを一つ一つ手でまっすぐに直す。
 こんなアンテナでも、低軌道衛星が相手なら必要十分な性能がある。  

 知覚を技術で拡張する遊びは、身体を駆使するのが楽でいい。 見えない衛星を追うために、八木アンテナに型落ちのスマートフォンを取り付けて、コンピューター支援の照準とする。アンテナから伸びる同軸ケーブルの先には、ハンディレシーバーを接続した。  


 装備を身に着け、建物の屋上へ上がる。 頭上には都会の夜空が広がり、いつものように灯火の影響で淡い灰色に染まっている。 まばらな夏の一等星だけが浮かび上がっていた。 

 ハンディレシーバーの電源を入れ、周波数をセットした。SSBモードにして、車道の騒音に負けないよう、ボリュームつまみを回して量を最大まで上げておく。 スピーカーから聞こえる狭帯域のホワイトノイズが聴覚を包んだ。 

 AR表示に対応した衛星追尾アプリを立ち上げ、最新の軌道要素をダウンロードしておく。
 追尾アプリの画面は、GPS受信機の位置情報と姿勢センサの値を反映して、黒背景とグリッドで画面の向こうと同じ座標を映し出す。 アンテナを上下左右に振ると、方位角と仰角の数値が追従する。
 コンピューター制御された地上局として、自己を拡張する準備は整った。 あとは待つだけだ。

 北にアンテナを向けると、画面上の仮想の地平線から衛星軌道のパスをあらわす曲線が現れた。 リハーサルとして、アンテナを画面上の軌道に沿って動かすと、パスは真上を横断し、南の地平線まで到達して空を2つに断ち切っている。
 地球の自転により、衛星が上空を通過する位置は毎回変わる。今晩のパスはほぼ天頂を通過するが、このような好条件で衛星を観測できるのは、これが最後かもしれなかった。 

 宇宙的なスケールからすれば、200km真上を通過するというのはほとんど目と鼻の先の事象なのだが、速度と地球の形状が壁となって立ちはだかる。駅のホームから通過する特急列車を目で追いかけるようなもので、 接近すればするほど、衛星はあっというまに地平線の向こうへ飛び去っていく。

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待機をはじめて数分後、衛星を示す輝点がスマートフォンの画面上に現れた。高度の表示が近くの建物の屋根を越えた頃、ホワイトノイズの彼方から、聞きなれたリズムが浮かび上がってきた。


 小さな衛星は、アマチュア無線のモールス信号によって自身の存在と情報を伝えるように設計された。
 ビーコンテレメトリそのものは決められた定型文といくつかの数値をゆっくりと伝えるだけだが、日々蓄積されるテレメトリと運用実績は、体験として人の心に心眼を芽生えさせる。 

 周期的なビーコンは、 強まるドップラーシフトに比例して少しずつトーンが変化していく。 時々レシーバーの周波数ダイヤルを回して追いかけなければならない。また、衛星自身の回転運動に伴って信号強度が変化し、さえずりが海のうねりのように強弱を繰り返す。  


心の眼で、衛星の状態を想像する。 

 計算機はとうの昔に人間を情報通信の物理層から開放したけれど、ヒトが情報伝達の符号化に踏み出した黎明期の電気通信プロトコルを用い、姿勢も外力任せの単純な衛星は、心眼と親和性が高い。 
 回線品質に隠された様々なデータを聞きとりながら、これまでの経験を元に頭の中のシミュレーションと同期させる。

 さかのぼること数年前、一枚のホワイトボードの殴り書きから、数十ページの計画書が生まれた。 チームが集まり、部品が基板に実装され、ソフトウェアが組み込まれて機能となった。電源が接続されてテストされ、削り出された金属筐体がネジ止めされた。アンテナと繊細な太陽電池を身にまとい、これから人工衛星となる機械は、ロケットの放出機構に収納され、南の射場へと旅立っていった。 

 腕とアンテナは天頂を指し示す。相対速度は最大となり、ビーコンの音程が目まぐるしく変わりはじめた。
 半年前まで手元にあった装置と、第一宇宙速度ですれ違う。 

 この瞬間、衛星は地球の影の暗闇を漂いながら、星明かりと都市の灯に挟まれているのだろう。 低軌道では、相変わらず視野の大部分を地球が占めている。 心眼の視点を衛星に向けると、ゆっくり自転する衛星に貼り付けられた三接合太陽電池のガラス面が、遠くに散らばる恒星と、地表に灯された人類の営みを交互に映しだしていく。


 音の変化に聞き入る間に、衛星はあっという間に天頂を通り過ぎていった。南の方角へ飛び去るとともに、レシーバーのダイアルを回す頻度が減っていく。通り過ぎてからも、高度が低いため普段よりも強力な信号が降り注いでくる。実は指向性アンテナで追わなくても、普通のホイップアンテナで捉えられるほど強い。

 わずか10分程度の可視時間はあっという間に過ぎた。アンテナで南の地平線を指していると、画面内の輝点は地平線に触れて消えた。 ほどなく信号も弱まり、リズムは再びノイズの海に沈んでいった。

もうすぐ、地球は1.5kgの質量を取り戻すだろう。

 軌道高度が300kmを切ったあたりから、高度のグラフは指数関数的に下がっていく。 再突入間近のこの頃には、1日で10km近く降下しており、 一日に数度あるレーダー観測の合間にも高度が変化しているため、軌道予測の誤差が増加していた。 より指向性の強い地上局の自動追尾では、接近時の変化が急峻すぎて、信号を追いきれない場面が出てきている。

 大気圏突入が夜の側で始まるのであれば、衛星の最期を見ることができるかもしれない。断熱圧縮で筐体と電子部品、リチウムイオン充電池が燃え尽きるとき、様々な金属イオンのスペクトルとなって輝き、夜空を一瞬だけ彩るのだろう。
 自然に落ちてくる衛星は、どこで突入を始めるのかわからない。高度が下がるたびに観測できる範囲は狭まるため、確率を見積もる過程で地球表面の広さを思い知ることになる。

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 2日後の朝方、予測高度が180kmを切ったあと、予定された可視運用時間に信号はなく、自動録音にはホワイトノイズのみが記録された。
 日本列島の手前、太平洋のどこかで衛星は地球に戻ってきたようだ。

 久しぶりに大学の地上局にプロジェクトメンバーが集った。運用部屋の狭い空間では無線機と管制画面が並び、まだ稼働を続けていた。 半年前の打ち上げ直後の生々しいファーストボイス(初回受信)の記憶が、まだ色濃く残っている。
この部屋で夜通し無線機のホワイトノイズを聞き続けた結果、その後数日間、生活音の中にモールス信号が聞こえる幻聴に悩まされたものだ。 

 モニタのひとつに表示された軌道予測ソフトの画面上では、レーダー観測による更新が途絶え、魂を失った軌道要素が、まぼろしの軌道を巡り続けていた。