ウィリアム・ギブスンの言葉。
ギブスンの作品を初めて読んだのは高校3年の頃、模試の途中で立ち寄った本屋で買った「ニューロマンサー」 だった。 サイバーパンクの最高峰、独特な言い回しでカルト的な人気がある。 とはいえ、書かれたのは自分が生まれる4年前で、サイバースペースはすでに古典と化していた。
短編ほか、代表的な3部作が3つあるが、 ニューロマンサーの後に書かれた2つの三部作はあまり噂を聞かなかった。 訳書も絶版で、中古本しかなく入手性がよくない。なので原書(Kindle版)を読破した。
この3つのシリーズを通してみると、ギブスンの作品はその当時の時代が色濃く反映されているのだと思う。技術好きなのでガジェット描写に注目してしまうけど、あくまで主役はそのガジェットが偏在する世界で暮らす人間達の物語だ。
橋三部作と、SF要素の無くなった新三部作についても、現在のネットや技術文化で起こっている現象を先取りしているようで、とても興味深い。 もっと入手性が良いとおすすめしやすいのだが…。
ということで、原書で読んだシリーズのあらすじを適当に整理しておこう。
スプロール三部作 「ニューロマンサー」、「カウント・ゼロ」、「モナ・リザ・オーヴァドライブ」
80年代を1世紀くらい続けた先の近未来世界で、サイバースペースのハッカー、サイボーグの殺し屋といったヤバい仕事人たちがAIにこき使われるお話(超意訳)。
膨大な情報を解釈するために用意された仮想現実とネット。ソフトウェアとして流通する技能、レンタルビデオのように氾濫する五感メディアと人格ROM構造物。 ヒトがガジェットと化した未来世界で、混沌から生まれようとしている新たな知性…
復刊もされているため、たいていの人がニューロマンサーから入門すると思うけれど、入門が一番の難関だったりする。 自分の耳の後ろには早い段階でSF用ソケットが埋設されていたので、それほど困難は無かった…。
後の作品になるほど、落ち着いた文章になってゆくのだが、古典と化したこのシリーズしか知らない人が多そうだ。
入手性はあまりよくないけれど、 短編集「クローム襲撃」も読めば文体に免疫がつくかもしれない。デビュー作の「ホログラム薔薇のかけら」や、「記憶屋ジョニイ」「クローム襲撃」では、スプロールシリーズにちらつく設定の断片を垣間見ることができる。 個人的には「辺境」がお気に入り。
橋三部作 「ヴァーチャル・ライト」、「あいどる」、「フューチャーマチック(All Tomorrow's Parties)」
2000年台、大地震後の大都市(サンフランシスコ、東京)が主な舞台。放棄された橋に居住する人々、ハッカーのネット国家、集積された個人情報を利用するメディア産業といった背景の中で、それらの核心にうっかり触れた主人公たちがトラブルに巻き込まれるお話。
この世界のヴァーチャル・リアリティはゴーグルをはめる没入型の高解像度版セカンドライフだ。スプロールシリーズで登場した霊的な抽象度の機構をより現実に近いものへ置き換えているように思う。 例外な便利技術は、物語の鍵として登場するドレクスラーのナノマシン(ナノアセンブラ)だろうか。
「あいどる」「フューチャーマチック」では麗投影というバーチャルアイドル(AI ?)が登場して、物語の重要な要素(人物)となる。 初音ミク現象を思い起こさずにはいられない。
新シリーズ 「パターン・レコグニション」、「スプーク・カントリー」、「ゼロ・ヒストリー」
(Blue Ant 三部作)
最近完結したシリーズ。 現実世界の時間軸で、SF無しのフィクションとなっているけれど、大型書店の洋書コーナーで見かけると必ずSFの書架に配置されているのがなんともいえない。
ファッションや広告産業を軸に、同時多発テロ事件以降の社会とそこで生きる人々、監視社会がテーマとなっている。
主人公たちは、謎めいた広告企業の主、Bigendの依頼を受け、ブランド産業や、現実世界の物流網といった構造の中でとある真実を追う。
物語と現実の位相。
三部作の世界観も、書かれた年代ごとにかなりアップデートを経ていて、それぞれを間隔をあけて読み直すと、だいぶ見方が変わってくる。
これからも三部作世界の断片を現実に見出すだろうし、現実が三部作の中に見出されるのだろうなぁ と。
Kindleと電車通勤はとても相性が良い。