1年前のある晩に、田んぼを自転車で横切る最中、虫の音が電波信号に聞こえてきた。
ちなみに東京と言っても、三鷹や調布あたりは結構森や田んぼが残っていて、越してきた時とても親近感を覚えた。 住んでいる間にずいぶん宅地化が進んでいるけれど、時の矢は一方通行だ。
さて、虫の声に掻き立てられた感傷をリセットするために、ダイバーシティ受信ごっこと称して、最寄りのコオロギの鳴き声に意識を向けて、通り過ぎるごとに新たなdBの虫に切り替えるという遊びを思いついた。たぶん疲れていたんだと思う。
最後の虫の音は住宅街に入ると次第に減衰して、コンクリで反射して微妙なマルチパスになりつつも、最後には通りすぎるタクシーにかき消されて聞こえなくなった。
目に見えない電波が日々情報を運んでいる中で、音波もまた情報を運ぶ。田舎では蝉やコオロギの大合唱が、常に同族への信号を送り続けている。ツクツクボウシはなんだかAX.25みたいなフレーム構造があるなあ、とか、アブラゼミはチャンネルを拡大し続ける無線LANの電波みたいだ(うるさい)、などと妄想したり。秋の虫はFMデータ通信の音に似た奴が多い。
複雑化するネットワークがサーバーを内蔵した小型ロボットとなって、一種の生態系と化すという展開は、シンギュラリティを扱うSFでよく出てくる。
田んぼで鳴いてる虫たちも、歌っているのは求婚ではなくてデータ通信かもしれない、と思って聞いていると結構面白い。ただ、同じ所で同じ周波数で発信するというのは、シャノン限界を考えるとあまり効率が良くない行為だ。実際には意味と言うよりも、長さや音色、音圧などの単純な情報のみをやり取りに使っている証拠でもある。
いつかGoogleの刻印がなされた鈴虫が捕まえられるようになるかもしれない。飼っておくと通信帯域が増え、代わりにいくつかデータを収集される、そんなやつ。