今回は趣向を変えて宇宙SFの紹介をしてみます。
SFと言っても色々な題材があるし、特に一部のハードSF(論理武装を売りにしたもの)などは、受け付けるかどうかは読む人次第なので、今回は宇宙に関連したものをちょっとだけ紹介してみます。
宇宙開発・技術的小説
アーサー・C・クラークの本全般は外せません。 通信衛星のアイデアの提唱者でもあり、宇宙と海洋という2つのユートピアを謡う作家でした。 小学校の頃、イルカの島というジュブナイル小説を読んで以来、訳された本は片っぱしから読んでいました。 タイムリーで代表的なものをいくつか。
「楽園の泉」 ハヤカワ文庫 軌道エレベーターを設計した男の物語です。 (けっこう軌道エレベーターという単語がメジャーになっていて驚いたのですが、某アニメの影響というのを最近まで気づきませんでした)
この小説のポイントは、あるものの完成に向けて奔走する主人公が思いがけず遭遇する自然、宇宙の神秘。状況を忘れ去るような美しさ。
クラークのSFはそういった展開が多いですね。文章に込められまくった高度なギャグも含めて。
ソーラーセイル実証機 イカロスの帆が展開に成功しましたが、 ソーラーセイルでいえば 「太陽からの風」 をおすすめします。 短編集に収められたものです。 月を目指したソーラーセイル競技の形で、話が進みます。
次々とリタイアする光子帆船たち。 レースを勝ち進む主人公。 突如発生した太陽フレアで避難命令が出たとき、主人公が下した決断とは…。
クラークの本は、オチで遥か未来か大宇宙スケールの視点が登場するので、テンションとしてはオチることなく、読者のifを刺激することで宇宙への興味のブレーキを外していくという副作用があります。 無限に思いを馳せ、深淵に見つめられし者、数知れず。 私も興味のブレーキをクラークに持ち逃げされたひとりです。 集めたブレーキを手にして、今頃もあの世で悪戯していることでしょう。
宇宙規模の建築物の話はさておき、 ソーラーセイルがもはやSFでなくなったというのがすごいことです。 しかも自画像まで送ってきている。 はやぶさの物語などは、地に足の着いたサイエンス・ノンフィクションの素晴らしさを教えてくれます。
「未来はすでにそこにある。 平等に分配されていないだけだ」 とサイバーパンクの火付け役 ウイリアム・ギブスンが言うように、SF的未来も既に社会に浸透していて、当たり前すぎて誰も気づかない状態なのかもしれません。
話がずれましたが、他にも山ほど小説があります。 古典的な物を求めるなら、H.G.ウェルズの宇宙戦争。 18世紀後半の本とは思えないリアリティがあります。
日本人作家のものも楽しめると思います。 最近読んだ「星の舞台からみてる」 は、エージェントネットワークと衛星間通信が作り出すネットワーク社会と宇宙開発が融合した物語で、自分としては身近で新鮮なテーマでした。 日本発の民間衛星サービスって殆ど無いので、超小型衛星群が軌道に乗ったら、この本の未来を現実化するのはあと少しのところにあると思われます。
無自覚に未来を消費するよりも、未来をつくる仕事に加わるほうが楽しいものです。
もらいものと自給自足したもの |
SFと言っても色々な題材があるし、特に一部のハードSF(論理武装を売りにしたもの)などは、受け付けるかどうかは読む人次第なので、今回は宇宙に関連したものをちょっとだけ紹介してみます。
宇宙開発・技術的小説
アーサー・C・クラークの本全般は外せません。 通信衛星のアイデアの提唱者でもあり、宇宙と海洋という2つのユートピアを謡う作家でした。 小学校の頃、イルカの島というジュブナイル小説を読んで以来、訳された本は片っぱしから読んでいました。 タイムリーで代表的なものをいくつか。
「楽園の泉」 ハヤカワ文庫 軌道エレベーターを設計した男の物語です。 (けっこう軌道エレベーターという単語がメジャーになっていて驚いたのですが、某アニメの影響というのを最近まで気づきませんでした)
この小説のポイントは、あるものの完成に向けて奔走する主人公が思いがけず遭遇する自然、宇宙の神秘。状況を忘れ去るような美しさ。
クラークのSFはそういった展開が多いですね。文章に込められまくった高度なギャグも含めて。
ソーラーセイル実証機 イカロスの帆が展開に成功しましたが、 ソーラーセイルでいえば 「太陽からの風」 をおすすめします。 短編集に収められたものです。 月を目指したソーラーセイル競技の形で、話が進みます。
次々とリタイアする光子帆船たち。 レースを勝ち進む主人公。 突如発生した太陽フレアで避難命令が出たとき、主人公が下した決断とは…。
クラークの本は、オチで遥か未来か大宇宙スケールの視点が登場するので、テンションとしてはオチることなく、読者のifを刺激することで宇宙への興味のブレーキを外していくという副作用があります。 無限に思いを馳せ、深淵に見つめられし者、数知れず。 私も興味のブレーキをクラークに持ち逃げされたひとりです。 集めたブレーキを手にして、今頃もあの世で悪戯していることでしょう。
宇宙規模の建築物の話はさておき、 ソーラーセイルがもはやSFでなくなったというのがすごいことです。 しかも自画像まで送ってきている。 はやぶさの物語などは、地に足の着いたサイエンス・ノンフィクションの素晴らしさを教えてくれます。
「未来はすでにそこにある。 平等に分配されていないだけだ」 とサイバーパンクの火付け役 ウイリアム・ギブスンが言うように、SF的未来も既に社会に浸透していて、当たり前すぎて誰も気づかない状態なのかもしれません。
話がずれましたが、他にも山ほど小説があります。 古典的な物を求めるなら、H.G.ウェルズの宇宙戦争。 18世紀後半の本とは思えないリアリティがあります。
日本人作家のものも楽しめると思います。 最近読んだ「星の舞台からみてる」 は、エージェントネットワークと衛星間通信が作り出すネットワーク社会と宇宙開発が融合した物語で、自分としては身近で新鮮なテーマでした。 日本発の民間衛星サービスって殆ど無いので、超小型衛星群が軌道に乗ったら、この本の未来を現実化するのはあと少しのところにあると思われます。
無自覚に未来を消費するよりも、未来をつくる仕事に加わるほうが楽しいものです。